カーロヴィチュ・ダルマさん(横手市増田まんが美術館)インタビュー:後編
2022年02月15日公開
カーロヴィチュ・ダルマさん(横手市増田まんが美術館)インタビュー:後編
実施日:2021年7月26日(月)
主催:女性MANGA研究プロジェクト
出席者
カーロヴィチュ・ダルマ
大城房美
ガルブレイス・パトリック・W
杉本バウエンス・ジェシカ
竹内美帆
濱野健
カーロヴィチュ・ダルマさん(横手市増田まんが美術館・研究員)
竹内 ここからは増田まんが美術館の特色についてお伺いしたいのですが、まんが美術館は原画がメインということですよね。「メディア芸術カレントコンテンツ」の記事を拝見したら、街おこしみたいな形で、合併したときに、その土地の作家のマンガを使って「「郷土性」と「市民への還元」という2つの指針に基づく活用方法を打ち出している」とのことでした。マンガを用いて「市民のプライド」を醸成していくと。「この街にこんなすごいマンガ家がいたんだ」という気持ちとか、その作家の原画を守っていくことを見せることで、市民に対して、アピールしていくのを押し出されてるっていう話が書いてあり、それが特色かなと感じました。やっぱり展覧会も、原画がメインの展覧会が多いのでしょうか。また、地域との連携はどうでしょうか。
ダルマ そうですね、ほとんど原画を使用した展示です。2階にミニギャラリーという小さなの展示スペースがあり、そこで例えばグッズや、CDジャケットのミニ展示、現在なら『クレヨンしんちゃん』展関連でしんちゃんトリビアを展示していますが、そういうものもあります。ただ、一番大きな展示はやはり原画が中心となります。そして、横手市の他の施設との連携については、増田町のお店と連携し、スタンプラリーを行ったり、うちの展覧会と同時に街並みの展示スペースに複製原画の展示も行ったりしたこともあります。増田を歩くとどこでもマンガが見える、というのが重要じゃないかなと思います。
ミニギャラリー(以下写真はすべて提供:横手市増田まんが美術館)
竹内 町ぐるみのイベントみたいなのがあるということですね。
それでは作品の選定について、マンガの単行本とか、もしくは、例えば原画を集めるときに、どういう基準でそれを選んでいるかについてお伺いしたいです。例えば、展覧会で展示するために使う作品や、年間どれぐらいのものを購入するのかについて、決まりがあるのかどうかについて教えていただければ。
ダルマ マンガライブラリーに1年間の予算があります。購入は大体、中古作品です。1年間、大体500~600冊の作品を購入しています。企画展の関連や、ライブラリーでさまざまな企画コーナーがありますので、それに合わせて購入されます。展示のためだけに使う古い作品ももちろん入っています。選定については、企画展や作りたいコーナーに合わせてライブラリーの主任スタッフによって行われています。そのほか、複数のお客さんの希望があれば、作品を購入します。例えば、『風の谷のナウシカ』は当初数冊しかなかったのですが、たくさんお問い合わせをいただき、続きも購入されました。
竹内 要望にも合わせてということですね。どんどん新刊が出てるような、新作マンガは、どの程度購入されてますか。
ダルマ 数は分かりませんが、一番人気な作品やメディア化された作品、話題作品の新刊をもちろん購入します。ただ、一番新しいものを出さず、ひとつ前の巻まで出しています。商売を妨害しないように、新しいものを置いていません。マンガ雑誌に関しても、そのルールがあります。雑誌コーナーがありますが、一番新しいものの1個前の雑誌までを置いています。基本的には、そのライブラリーは、貸し出しはしていません。
竹内 そういうルールがあるんですね。マンガライブラリーには、2万5000冊が閲覧可能とホームページに出ていましたが、例えばジャンルとかカテゴリの、内訳を教えていただけますか。
ダルマ いろいろあります。カテゴリは基本的にリニューアルオープン以前からあったマンガの在庫から作られています。ライブラリーで一番大きな割合を占めるのが、常設作家の作品です。これは、原画が収蔵される110人以上のマンガ家の作品を意味します。全員のすべての作品を置いているわけではないですが、複数の作品を収集しています。もう一つは、『ジャンプ』コーナーです。『週刊少年ジャンプ』のコーナーがあります。
竹内 少年マンガじゃなくて、『ジャンプ』のですか?
ダルマ 『ジャンプ』です。廊下でも、ライブラリー内でも特別にジャンプコーナーがあります。ライブラリーはリニューアル前に、基本的に寄贈された作品で構成されていたので、それを基にこれから増やしていきます。『ジャンプ』は全部寄贈されたかどうかは、わからないですが、例えば、古い少女マンガの単行本が、すごく寄贈されていました。そのような古い少女マンガが沢山あったために、少女マンガコーナーができていました。かなり古い時代の、60年代末から70年代のものがあります。私の昔の研究に合う作品が、たくさん置いてあります。そこには元の持ち主のスタンプが押してあり、一つの場所から全部寄贈されたと分かります。
竹内 持ち主の方が、全部持っているものを寄贈されたのですね。
ダルマ 昔の企画展関連で使われた作品のコーナーもあります。例えば、手塚治虫コーナーがありますが、これは昔、展覧会があったためです。そして、同じように昔あった雑誌『IKKI』の単行本のコーナーも、まだあります。そして、マンガの台詞がたくさん貼ってある名台詞ロードに掲載されている作品も、一つのコーナーで読むことができます、展示替えの場合は、そのコーナーも変えることになります。そして、もちろん秋田県出身のマンガ家さんの作品も、特別なコーナーがあります。それ以外は大体、ライブラリーのスタッフが様々なコーナーを用意してくれます。例えば、「マンガ大賞」や「このマンガがすごい!」、「これも学習マンガだ」の作品のコーナー、メディア化作品のコーナー、今は夏のおすすめマンガコーナーがありますが、以前『アメトーーク!』で紹介された作品のコーナーもありました。雑誌コーナーもあります。この中で購読があるものと出版社からいただいてるものもあります。
秋田県作家コーナー
竹内 海外マンガは、どのぐらいありますか。
ダルマ 海外マンガが、ほとんどないです。海外作家の原画を紹介するコーナー、「外国作家ギャラリー」が、ライブラリーの一画にありますけど。これも昔、海外マンガを紹介する展示があって、美術館に寄贈された原画が展示されていますけど。そこで、外国語のマンガも置いてありますけど、それは外国のマンガじゃなくて、例えば、矢口高雄先生の作品の中国版とか、そういうものが置いてあります。
竹内 翻訳バージョンみたいなものがあるんですね。海外のバンドデシネとかアメコミみたいなものは。
ダルマ 置いてないです。でも、今思えば、特別なコーナーとして企画してもいいかなと思います。
竹内 いいかもしれないですね、そういったコーナーは。最近、結構、翻訳されて日本語になってるものとか、たくさんあるので。普段、自由に手に取れるコーナーと、書庫みたいな形で閉じられたコーナーがあるんですか。それとも、全部オープンな棚に置いてある?
ダルマ ほとんど全部オープンです。一部、例えば、コンビニ版は展示してないと思います。もともと置いてあったコンビニ版とか、そういうものがありますが、基本的に全部自由に閲覧できます。
竹内 なるほど。利用者数もそうなんですけど、例えば、ゾーニングはどうなっていますか。やはりオープンなので、子どもも大人も自由に手に取れるっていう形態になってると思うのですが、そこに置くマンガの基準は。例えば、性表現だったり、暴力表現だったり、年齢制限がない作品も多いですが、子どもに見せるのはちょっとといった作品を、そもそも取り扱ってるのかっていうこととか、そういうものに対する配慮みたいなものがあるとしたら、教えてもらいたいです。
ダルマ 年齢制限がないマンガでしたら、基本的に何でもOKです。方針が結構緩いというか、ケース・バイ・ケースで判断されます。、エロマンガ(成人コミックス)、BL、百合が避けられています。BLや百合に関しては、それは、もちろん激しい表現がもともとだめなのですが、スタッフさんはそちらのジャンルに詳しくないので、そのジャンルに関して、基本的に購入しないです。しかし、色々なコーナーのために作品を購入するとたまたまBLが入ることがありますが、展示するかどうかはケース・バイ・ケースで判断されます。そんなに激しくはなかったら並べる。例えば、「食」をテーマにするマンガでK.有馬の『キッチン』というBLマンガが知らずに購入されましたが、展示OKでした。また、メディア化作品の中で、去年、映画が公開された、水城せとなの『窮鼠はチーズの夢を見る』がメディア化をきっかけに購入されました。女性マンガとして出版された作品なんですが、結構泥沼のBLカップルの話で。それもスタッフさんがあまり考えずに購入したようです。でも、あまり激しい描写がなかったので、それも問題なく展示されています。
竹内 視覚的に見て、激しいかどうかが重要なんですかね。テーマよりは。
ダルマ そうですね。一般コミックスとして出版されたものが、基本的にOKなので。一つだけ、ギャグシリーズがだめになってしまったケースがありました。スタッフと館長の独自の判断で村田ひろゆきの『工業哀歌バレーボーイズ』がだめでした。下品なギャグとエロだそうですので。描写だけでなく、おそらくテーマもそうだったのですが、それはスタッフさんが、あんまりにも下品なギャグで展示したくないと決めました。もちろん館長とも相談して、結局、今でも展示してないです。
竹内 下品というのは、具体的にどういうことだったのか。下ネタみたいなことなのでしょうか。
ダルマ 多分、下ネタだったと思います。私も、具体的にどうだったのか、今置いてないので見ていませんでした。でも、多分、下品なギャグで。しかし、実際性表現がある作品もたくさん置いてあります。林静一先生が常設作家の一人なのですが、彼の『pH4.5グッピーは死なない』とか、性描写がすごく写実的に描かれたものがたくさん入っているものもあって。それは普通に置いてありますけど、子どもたちの手が届かないように、一番上の棚に置いてあります。そういうケースも結構あります。常設作家の作品の中で、もともと五十音順になっているんですが、手が届かない場所に置くことはあります。
竹内 北九州市漫画ミュージアムでも、そうされてるみたいですよね。ゾーニングっていうほどではないけれども、大人向けのちょっと性表現多めの作品とかは結構上のほうの棚に。子どもの背が届くか届かないかみたいな所に置いていて、区分けしてるみたいな。そういうやり方を部分的に取り入れてるんですね。
ダルマ そうですね。例えば、『アンパンマン』が、一番下の棚に置いてあります。絵本とか、『ドラえもん』なども。
竹内 そういう、例えば、常設作家の作品とかで性表現があったりするものに関しては、気付いたものに関しては上のほうに置いたりっていう配慮をしてるけれども、基本的に排除してるわけではないっていうスタンスなんですね。
ダルマ そうですね。例えば、小島剛夕先生の作品は、基本的に、時代劇はしょうがないという判断で、特に排除しないです。
竹内 暴力表現というか、残酷な表現についてはいかがですか。血が飛び散ってるもの、首がはねられるものなど。小島剛夕はそういうのが割と多い気がするのですが。
ダルマ 作中にはもちろん暴力の描写が結構ありますが、特に今の段階で気にしてないと思います。マンガはマンガなので。
竹内 話題に上がるのは、性表現のことがメインという感じですか。
ダルマ そうですね。でも、一般コミックスとして出版されたら、基本的にそれはOKかもしれません。本当にケース・バイ・ケースになります。成人コミックス(エロマンガ)はおいてないですね。
竹内 エロが目的になってるものは置いてないのですね。
ダルマ そうです。やっぱり公的施設としては、残念ながら、そういうの置いておけないですね。しかし、青年マンガ誌で週刊誌が結構置いてありますので、そこでもすでに表紙でエロ描写をさけられないですね。
竹内 市の施設というところが、結構ネックになっていますか。
ダルマ そうですね。運営しているのは一般財団法人なので、横手市が運営しているわけではないのですが。
マンガライブラリー
竹内 この辺りのお話は、結構プロジェクトの研究と関わると思うので、何か皆さんからご質問とか、もう少し聞きたい部分がありますか。
大城 先ほど、子どもだと手に取れないような上のほうに置くという手法と、中身に関しては、上に置くか、下に置くかという、一応ゾーニングはされているというお話がありました。置かれている一般のコミックスに関しては特に制限がなく、上に置くか、下に置くかっていうことですよね。だから、マンガ全体に関しては、年齢とかジェンダーとか、そういったことによっての区別っていうのは、成年マンガとか、エロとか、そのようなことが目的になっているようなマンガ以外は今のところないということでよろしいでしょうか。あと、BLについて聞きたかったのですが、あまり激しい描写がないのがOKになっているというお話について。本当に最近のBLは、少女マンガの延長というか、少女マンガよりもピュアな表現が結構ある作品が多いので。だから、どうやってそれを判断するか、一つ一つ、基本的にキュレーターの方たちが中身を読んで、それを選定するっていうのが、基本だと思っていいのでしょうか。
ダルマ 読むよりは、パラパラと中身を確認する形になっていますね。基本的に、今の段階で置いてある2冊のBLをテーマにしている作品を見ればわかりますが、性描写がありますが、性器が描かれていない。両方、そのような作品になっているので、それはOKです。性器とか激しい性描写、過激な暴力の描写があれば、それは基本的にNGです。時代劇ではしょうがないところがありますが。しかし、BLについての専門知識がスタッフさんにないので、基本的にBLを買おうとしないのだと思います。百合もそうですけど。
大城 そうなんですね。
竹内 選定されるスタッフさんっていうのは、どういう方なんでしょうか。例えば、どこか他の美術館で働いてた経験がある方なのか、図書館司書などの資格を持ってる方なのか。
ダルマ 資格は持っていないと思います。昔から働いていらっしゃる方で、いつからかは分かりませんが、リニューアル前からの美術館のスタッフとして働いています。そして、ライブラリーとアーカイブも担当してされています。
竹内 特にマンガ研究をしてるとか、そういうことでもないのでしょうか。
ダルマ そうではないです。マンガ研究をしているのは私と、今学芸員の資格のために勉強しているスタッフさんしか、していないです。
竹内 では、図書スタッフの方がずっと長年の経験で選別されているのですね。
ダルマ そうですね。基本的に、ここで働くためにマンガ好きであることが求められていないのですが、大体、マンガ好きが働いています。一般読者としてマンガに詳しい人たちだと思います。
竹内 ありがとうございます。では、ライブラリーの1日の利用者はどのくらいでしょうか。もちろんコロナ前とコロナ後でも変わると思いますが。
ダルマ ライブラリーの利用者は正式に数えられていませんが、使い方によって色々変わります。例えば、修学旅行や団体、美術館を訪問するお客さんは大体短時間ライブラリーで過ごしていますが、半日や一日中マンガを読んでいるお客さんもいます。もちろん、常連さんもいます。ライブラリーには、今の段階で、椅子が22個ぐらい置いてありますが、ライブラリーだけじゃなく、ライブラリーの外にも本が結構置いてありますし、館内全体に椅子が設置されており、マンガを読むことができます。1階にも2階にも、たくさん座れる場所があります。そして、もちろん立ち読みもされています。ライブラリーだけでしたら、週末や祝日でしたら30人、40人が同時にマンガを読んでいることが多いです。
現在コロナでライブラリーの使用時間が1時間以内となっていますが、気にしないお客さんもたくさんいます。コロナのために座れる場所が半分に減ってしまいました。コロナ前までは、ライブラリーや常設展示の寝転びスペースが人気でしたが、現在使用不可です。数時間マンガを読んでいる人と、企画展を見るために来館し美術館内を回っている人もいます。もちろん、ライブラリーは一番週末祝日が混雑していて、一日中混んでいます。そのほか、一時的に修学旅行や団体が来館された際に混んでいます。そして、夏休みの間に子どもたちの人数も増えていますし、冬の大雪のときでしたら、やっぱり減っていきます。
竹内 ありがとうございます。ここまでの話で何か質問のある方はいらっしゃいますか。
濱野 さっきのマンガのセレクションのことで、スタッフさんが選ぶという話だったのですが、逆に、来場者から、このマンガはここに置いてていいのかとか、マンガの内容についてクレームがあったりとか、あるいは、こういったマンガは、どうして置いてくれないのかっていうようなリクエストっていうのはあったりするのでしょうか。
ダルマ 幸い、クレームが今まではなかったです。希望とか、置いてほしいとか、先ほども言いましたように、『ナウシカ』の続きを読みたいとか、そういうのは時々あります。しかし、それは美術館の再開1年目の時、私の席がライブラリー内にあり、そのときはお客さんから私の席も見えるようになっていました。その後、今はパネルを使って区切っているので、そこで働いているスタッフさんの姿が見えなくなりました。そのため、私がお客さんと直接交流したり意見を聞く機会が少なくなってしまいましたので、これが読みたいとか、そういった声を、あまり聞かなくなりました。もちろん、意見を投稿できるアンケートがあります。新しい作品とか新刊が読みたいという声は、時々あります。
濱野 ありがとうございます。もう一点。今まで1年ぐらいプロジェクト進めてきて、初めて聞いた規制コードで「下品」というコードをうかがった。今までは、例えば性表現とか、暴力表現だとかいうことに関して、いろいろ議論したりとか、焦点を当ててきたりしたんですけれども、下品という新しいコードを聞いたので、これは非常に興味深いなと思って。下品とは、一体どういった水準なのかなって。これ、私たちにとっても大事なトピックなのかなと。下品ってどういうコンセプトなのかっていう。
ダルマ 私もその作品を見たことがないので、具体的にどうだったかがわかりません。
濱野 かなり下品。昔、『ヤンマガ』に連載されてましたけど、相当下品です。
ダルマ そのギャグのやり方、在り方。何とも言えないですね。
竹内 エロだけでもないっていうことですよね。
ダルマ そうですね。どのように見せるか、それについて、どのように語っているのかも入ってくるんじゃないかなと。
濱野 例えばこの2週間、小山田圭吾の進退問題が議論されている。当時のいじめに対する雑誌や表現媒体で、いじめをどう扱っていたかって、20年前に発表された発言を含めて結構議論になって。例えば、身体障害者をそういったとこで取り上げてネタにするみたいな。これ、今、明らかにやっちゃいけないとか。下品であるっていう表現って、とってもモラル行動に引っ掛かるんだけど、性的表現以上に基準がすごく難しいというか。
ダルマ そうですね。あいまいです。
濱野 さっきみたいに、性器が出ている出ていないってのは、すごくはっきりした判定になるんですけど、下品っていうのは、すごく面白いトピックっていうか。研究上は面白いなと。
ダルマ 結局、個人の意見次第ですね。特に美術館に関しては、スタッフさんと館長次第です。でも、確かに難しいです。
濱野 例えば、ジェンダー的に下品って言い方もされるわけじゃないですか。女性がそんなことをするのは、みっともないっていうような。これも、一つの下品のコンセプトの中に含まれちゃうっていうところもあって、非常に気になるトピックだなと思いました。
ダルマ 特に昔の作品に関しては、やっぱり読者の感覚も変わっていくわけなので。昔のギャグマンガの「下品」だけじゃなく、『ハレンチ学園』の問題もそうなんですが、今はいけないかなと思いますね。
竹内 教育とかの文脈だったら「俗悪」とか、そういう言葉で語られたりすることもありますね。エロとも、また違った「低俗」っていうか、そういう考え方ですね。でも、そういうものが、基本的に子どもは大好きなので、『コロコロコミックス』とか『ジャンプ』とかに載ってる昔の作品は、割とそういうものがすごく多いですよね。今のところ、「下品」という理由ではねられたのは、その『工業哀歌バレーボーイズ』だけですかね。『ハレンチ学園』は、元から入れてない?
ダルマ はい。永井豪先生の作品が置いてありますが、『ハレンチ学園』が置いてないです。しかし、これは意図的な選別ではなかったと思います。
濱野 個人的には、最近、山上たつひこのマンガを読み返してたんで。『がきデカ』とか。
竹内 あれも結構、そういうギャグが多いですね。
濱野 そう。だから、これ、今、ちょっとまずいよなっていう。でも、それが面白いやと読んでしまう。
竹内 今だったらアウトだろうっていうのが結構ありますよね、昔のマンガで。
大城 昔の作品は、手塚治虫のマンガ集の後ろに注意書きが書いてあるじゃないですか。これは昔の表現なので、という。60年代とかの古い少女マンガとかも、やっぱメンタルの病気だったっていうところを表現するような病名っていうのが、すごいやたら出てくるので、そこら辺もいけないんだろうなとか。言語の問題って、文化の問題というか、時代の問題があるので難しいですよね。そこまで見せるか、見せないかっていうところがですね。だから、古典ということになったら大丈夫っていうのを、以前橋本館長(合志マンガミュージアム)から聞いたのかな。『風と木の詩』も、もし今あれが連載されてたら難しいけれども、やはり40~50年前の作品で、古典になって、みんなもう認めているので。だから、OKになって並んでいる、と言われてたから。そういったところで昔の言葉の問題っていうのは、ある程度クリアされるのかなとも思うんですけど。
数日前、アメリカのKids’ Comicsの若手の描き手にインタビューしたんですが、そこで規制が子どもたちのためにかかったのが、私たちはエロとか性表現とか暴力だろうなんて思ってたら、彼によれば、言語だったという話がありました。言葉の使い方が良くなかったというので規制されたと言ってました。だから、私たちも今日、ダルマさんからそういう話を聞いて、図書館側とか子どもたちからするとその視点もやっぱり大事ということに気づきました。保護者の視点とか、そういったところから大事なんだなっていうのを、あらためて今の発言を聞いて思いました。
竹内 それでは展示についての質問に入ります。展示のほうでも同じように、例えば、展示できる作品とか、これはちょっとやめておこうといった、性表現や暴力表現などに関して、配慮することや、基準があるのかどうかについて、教えていただけますか。
ダルマ やはり展示の中でも性表現と過激な暴力が避けられていますね。例えば、小島剛夕先生の時代劇でしたら、先生が大規模作家の一人なので、一部はしょうがないので、作品をどんどん使っていることがあります。性表現があるものをあまり展示してない気がします。例えば、性的暴行の描写も結構ありますが、それを展示で出していないと思います。暴力は、もうしょうがないです。武士とか忍者、忍びについての話が多いので。逆に小島先生の場合、戦いの描き方が魅力の一つなので、それは大丈夫です。しかし、最近、さいとう・たかを先生も大規模収蔵に作家になっていたので、『ゴルゴ13』が普通に展示で出しました。性表現が基本的に避けられていますので、なかった気がします。
竹内 収蔵する、原画や単行本に、そういう表現があるものは問題ないんだけれども、見せるときに配慮してるっていう感じですね。
ダルマ そうですね。大体、収蔵されるようになる作家の場合、作家さんへのつながりとか、出版社へのつながりとか、そういう近い関係があるので、そこで何が預けられているのかは大体、把握しています。しかし、その作品とか原画をどのように使っているのかは、別の問題ですね。
竹内 なるほど。その意味で例えば、小島剛夕展みたいなのをやろうとなったときに、どうするか。そもそも、そういう展覧会としては、性表現とか暴力表現みたいなのが割とメインになってる作家っていうのは、もう企画展として取り扱わないという感じなのか、それとも、そういうものを見せない方向で、別の魅力みたいなのをアピールするのか、どうでしょうか。
ダルマ 今まで、そういう問題が出てきてないです。例えば、私でしたら、性描写があるページで何か伝えたいことがあれば、展示するかもしれませんが、それはまたケース・バイ・ケース。館長と相談して、展示するかどうかは、その場で判断すると思います。本当に収蔵作家でしたら、100パーセントだめということがないと思います。ただ、何か意味が必要なので、それを相談した上でですね。指定管理で運営するので、横手市と相談する必要がないと思いますが、館内で相談して、それが本当に必要かどうかを決めて、必要だと判断されればOKです。例えば、小島先生でしたら。しかし、私も、ただ性表現のために展示するということは、したくないと思います。性表現とは別に言いたいことがあれば、そこは、逆に性表現が邪魔になってしまうので、使わないと思います。
竹内 例えば、竹宮惠子先生の『風と木の詩』の、セルジュとジルベールがキスしてるシーンがあると思うんですが、それはよく別の展覧会とかで展示されてるところを見たりします。ああいうのは、どうですか。
ダルマ それは多分OKだと思います。キスだけでは、別に。それで激しくないですし。
ヌードでもないし。それに、大城先生がおっしゃったように、歴史的に意味があるものなので、お客さんにも理解されている内容なので、そこは問題ないと思います。小島先生の場合も、みんなが知っている内容なので、おそらく、意味があって性表現を展示しても、そんなに問題にならない気がします。
竹内 やっぱり作家の知名度だったり、作品の認知度みたいなのも結構関わってきますね。
ありがとうございます。展示で来場者に公開する作品についてですが、企画展や常設展で展示する作品っていうのと、資料として展示はしないけど、保存するというような、そういう展示すると保存する作品の基準はあるのでしょうか。
ダルマ 意識的なことではないと思います。ただ、展示は、その展示のために何を使うかを展示によって決める。そのテーマや伝えたいことに合わせて。それ以外は、意識的に区別するわけではないと思います。
竹内 そういえば、展示は、基本的には、自分の館で作ったものが多いですか。それとも、他の館から移動してきたものが多いですか。
ダルマ パッケージものもあります。例えば、これまで人気があった展示が、大体パッケージです。『ONE PIECE』展とか『鋼の錬金術師』展とか、2021年の『クレヨンしんちゃん』展も、ここで考えられた展示というわけではないです。それ以外は常設作家、大規模収蔵作家の作品を使った展示も、結構やっています。過去に矢口先生の50周年記念展や、今年は高橋よしひろ先生の50周年記念の展示もやりますし、2021年8月には、私の研究を基に、小島先生の展覧会もあります。問題になる描写以前の貸本作品を中心に、使っている展示をやっています。
2021年8月より開催された、「小島剛夕原画論」展
竹内 独自展示も結構あるのですね。毎年開催されてるということですね。先ほどの話に戻るかもしれませんが、作品の展示では、これを見せたいけど、これは子どもに見せないほうがいいかな、など、見せる/見せないを意識する場面がありますか。
ダルマ 多分、実際今までは問題として出たことがないと思います。小島先生の作品でも一番魅力的なのは戦いのシーンなので、別に性暴行を見せたいという意志はないと思います。
竹内 基本的に戦いとか、剣でやり合ったりするシーンみたいなのは、そんなに問題にはならないのですね。別に館の中でも、来場者からもクレームはない?
ダルマ 今までは幸い、何もなかったですね。でも、時代劇でしたら、しょうがないです。
竹内 最近、表現というか、内容に関わる問題なのかもしれないのですが、子どもと親の価値観そのものが変わってきていますよね。例えば、プライベートゾーンを守るという意図で、子どもに対して他の人にパンツを見せないみたいな教育があったり、男の子でも体を他の人に触らせないといった話が割と主流になりつつあります。過去のマンガでも、例えば、『おぼっちゃまくん』とか、そういう作品が、もしかしたら問題になり得るのかもしれないなとか思ったりもするんですが。その点に関しても、これからやっていく中で、新しい問題が出てくるかもしれないという感じですかね。
ダルマ そうですね。しかし、読めるマンガと展示するマンガというか、普通にマンガを読むことと原画を展示することが感覚として、ちょっと違うなという気がします。マンガを読むと、やっぱり読者の中での体験になってしまうんですが、展覧会でしたら、ちょっと違う。その体験の差によっても、同じ作品に関する意見や判断が異なるのではないかと思います。展覧会であれば、キャプションなどで説明を付けて、フレーミングがあり、普通に読めるマンガよりもいけるかなと思います。
竹内 そうですね、見せ方をコントロールすることができますね。キャプションとか、流れの中の配置とか。それは、もしかしたらマンガの展示っていう広いテーマで、他の館のスタッフの方とかも悩まれてるところなのかなと思いました。お話を伺って、展示とかライブラリーも含めて、全体でそんなにトラブルが発生したりとか、クレームが来たりっていうことは、あんまりないという認識でいいですか。
ダルマ はい。今までは幸い、何もなかったです。ちなみに、常設展示で女性の裸が見える原画も展示しています。毎日見ているのでほとんど意識してきませんでしたが、面白いことに、女性作家の女性向け作品が多いです。一つは、牧美也子先生のカラーイラストで、絵画のような上品なヌードです。マンガのページとしては、森園みるく先生や庄司陽子先生の作品があります。風刺画や男性作家のマンガ原画にも裸の描写が少しありますが、どっちも「エロ」だけのための描写ではないです。幸いこれらに関して今までクレームがありませんでした。
竹内 来場者だけではなく、例えば、出版社とか著作者とのトラブルとか、そういうことはありますか。
ダルマ 何もなかったです。
竹内 なるほど。横手市の皆さんっていうのも、そんなにクレーマーみたいのがたくさんいないっていう感じなのですか。
ダルマ 少なくとも、何も聞いてないです。もちろん横手市で、市民がみんなマンガ好きというわけではないですが、幸い、ネガティブな意見とか批判とかは今までは何もなかったです。
竹内 先ほども、公的な施設という位置付けと、マンガの表現の多様性というか、下品なものなども含めてのマンガというものの、その関係性について、何かお考えがありますか。例えば、横手市特有の事情など。横手市が何かのプロジェクトをやっているとか、そういう関係性がもしあれば。
ダルマ 横手市がマンガをまちづくりに使いたい、マンガ文化をサポートしたいという態度なので、もともとは、秋田県出身の作家さんの作品を主に収集していたんです。それは、秋田県出身の作家さんについての情報を広めたいとか、そういう考えが今でももちろんあります。例えば、秋田県出身作家のマンガの展示も定期的にやっていますし、いろいろな場で活用します。もちろん、市民が皆マンガ好きではないし、企画展もいつも皆の好みに合うわけではないですが、将来市民のみなさまにこのような施設があることの良さが理解できると期待されます。横手市にとっても、まんが美術館によってかなりの経済波及効果が証明できます。
竹内 イメージとしては、秋田県の市民たちに向けてとか、もしくは、秋田県以外から来られる方に向けて、秋田の魅力みたいなのを伝える一つの場として、美術館があるという位置づけですね。
ダルマ それも大事ですね。そして、秋田県にあるマンガを収蔵している施設としての位置も重視したいと思います。つまり、県内へのアピールと、県外へのアピールは両方大事です。社会的役割についても、原画保存の重要性なども伝えたいという立場です。そして、それも横手市がミッションとして担っていると考えられます。
竹内 基本的には、やはりベースにあるのが、県民の人たちに対して秋田市の財産といった何らかの価値みたいなものを啓蒙していくという立場ですね。
ダルマ 出発点は確かにそうだったんですが、今はたくさんの大規模収蔵作家が増えてきたし、美術館も大きくなってきましたので、秋田県以外にも、世界的にも、原画の重要性とか、マンガ文化について発信したいという気持ちも強いです。
竹内 なるほど。原画の収集・保存という点で言えば、かなり特殊な位置付けにありますよね。世界的にも。内向きだけじゃなくて、外に向けた発信というか、研究拠点としての役割も強調していくということですね。
ダルマ そうですね。
竹内 最後に、ダルマさんのご自身の研究について、お伺いと思います。これまでどういう研究をされてきたか。例えば、大学院や、日本に来られる前のハンガリーでの活動とか、簡単に説明いただければと思います。
ダルマ ハンガリーではまだ学術的な研究をしていませんでした。修士号を取った後ハンガリーのマンガ・アニメ情報雑誌の編集者になって、そして日本や韓国のマンガを主に英語とドイツ語から翻訳しました。基本的に、記者として働いていました。マンガとアニメについてのラジオ番組とか、そういうこともやっていました。研究は、来日してから始めました。2013年に国費留学生として来日し、京都精華大学に2年間研究生として、3年間博士課程に在籍しました。博士号を2019年に獲得しました。2018年から現在までこのまんが美術館(財団)に研究員として勤めています。もともと古い少女マンガに興味があって、博士論文のために60年代の少女マンガを『週刊マーガレット』という雑誌を通してメディア史の観点から研究しました。毎号の作品一覧も記録しています。60年代の他の少女雑誌も具体的に調査したかったですが、美術館は昔のマンガ雑誌を収蔵していませんので、現在延期中です。
竹内 具体的にどのように、『週刊マーガレット』を研究しているのですか。
ダルマ メディア史の観点から研究しています。当時は、少女雑誌におけるマンガの割合が、まだ比較的に低かったのですが、60年代の間にマンガの本数や作品のページ数がどのように増加し、児童雑誌がどのように変化したか、総合雑誌からマンガ雑誌への変遷の過程を調べました。その他には、どのようなマンガが掲載されていたかを含めて、その内容(物語や描写)がどのように変化したか、マンガ以外の掲載物はどのような内容が掲載されていたか。マンガ以外の内容とマンガが、どのように関係していたかなどについて、さまざまな研究をしました。
「小島剛夕原画論」展には、ダルマさんの研究が生かされた
竹内 その後は、現在増田まんが美術館のほうでは、小島剛夕を中心に研究されているんですか。
ダルマ そうですね。横手にきて最初は、何を研究すればいいのか迷いました。ここは少女マンガ作家の原画も置いていないし、雑誌も置いていないし、どうしたらいいのかと。特に、原画に関してマンガ制作や展覧会という観点から研究がありますが、それ以外原画で何が出来るのか、手探りでした。そこで二つのラッキーなことがありました。一つは、小島剛夕先生の貸本原画も収蔵していることです。京都で既に少女向け貸本について調べ始めていましたので、その延長線で小島先生が残してくれた貸本マンガとその原画の研究を始めました。幸い、原画だけではなく、参考にできる貸本自体も置いてあります。残念ながら全部ではないでが、研究には使える量があり、それを調べ始めました。
もう一つのラッキーな事情は、『マーガレット』の研究をやっていたときに、メディアによってマンガの周りの表現が変わっていくということに気付きました。一言で言えば、貸本マンガや付録は3段構成、雑誌が4段構成を使っていましたが、同じ作品を別のメディアで発表するとき、原画がそのメディアの表現に合わせて修正されるという、後に消えていく出版制度です。小島先生の初期作品を調べながら、先生には60件以上のこのような事例があって、研究をこの物質性の観点から見たマンガ表現という方向に進めていきました。例えば、貸本から雑誌へ、雑誌から貸本へとか、いろいろ方向性があって。複数回、使い回された作品も結構ありました。そして、原画が置いてあるので、それらの作品のコマ構成が、どのように変更されたか、修正されたかを、直接具体的に原画で見ることができました。そして、そこで切り貼り、つまり原画を一回切って、新しい原稿用紙の上で再構成することと、描き直す手法を小島先生が使っていたことに気付き、これをもう少し具体的に調べるようになりました。今はマンガ表現を、マンガの物質性の観点から研究することを中心に行っています。マンガだけではなく、原画の物質性も考慮しています。
竹内 私も今、物質性のことをやっているのでとても興味がわきました。私は表現の線とか、作者や読者が描く/読むときの身体性とか、そういう観点から表現の物質性を調べているんですが。ダルマさんの場合は、雑誌、もしくは原画、貸本など、具体的なメディアの移動に関してですね。60年代は、チョキチョキ紙を切ってやってるわけですよね、切り貼りみたいな。そこに視点を向けるのは、すごく面白いアプローチだと思います。それは、60年代の少女マンガ雑誌で行われていたものですか。ちょっと大人向けのものでもありましたか。
ダルマ いや、すこし違いますね。60年代の間で、まだ小島先生は貸本マンガを大量に作っていましたが、その貸本作品が大体女性に好まれていました。読者は半分以上、女性だったと思います。投稿欄だけを見れば、例えば似顔絵コーナーだけを見れば、基本的に女性の名前が出てきます。美男美女の悲恋ものが、すごく多いです。まだ、後の成年雑誌の小島剛夕とは全然違う。
竹内 そうなんですね。そのときは結構、女性の読者もたくさんいた。あんまり女性向け、男性向けっていう区別が、貸本の場合そもそもそんなに分かれてないですよね。
ダルマ そうですね。もちろん少女マンガではなかったのですが、基本的に女性読者に好まれました。ちなみに、後に少女マンガでデビューした作家たちの間で、小島先生の貸本のファンも結構いました。貸本の中に藤原栄子からの似顔絵投稿を複数発見しました。小島先生のファンNo.1とも言える風かおるも女性です。
竹内 なるほど。そういう研究は興味深いですね。当時は表現に関して規制とかそういう意識がない時代だったと思うのですが、特に貸本は、割と自由な表現が多い。質的にも、そんなにクオリティーが高いものではなかったりするし、読者も子どもが読んでたりするものも多い。調査をされる中で、現代の規制が厳しい社会というか、自主規制を含めて考えると、当時のある意味で今とは違う基準があるような時代との違いについて、何か感じることや考えていることというのがあれば、教えていただければ。
ダルマ 私の研究に関しては、一般的に知られている小島剛夕が出来上がる以前の作品が研究対象になりますので、研究でも、展示でもこの問題が浮かび上がらないですね。逆に、小島先生の貸本のファンが主に女性でした。少女マンガではなかったのですが、美男美女の悲恋物語が非常に多いですし、描写にも美しさがあります。小島先生の作品でも、まだそんなに激しい描写がありません。それは、大体60年代末の青年雑誌で出てくるので。もちろん戦いとか武士とか忍者を中心とする作品も結構ありました。しかし、小島先生の貸本はそんなに今でも問題にならない気がします。青年雑誌で掲載された作品に関して、戦いの原画が今までももちろん展示されてきました。個人的に、展示で伝えたいことを見せるためにそのようなページが必要であれば、普通に使えると思います。しかし、同じことを性描写がないのページでも見せられるなら、性描写なしの方を選ぶと思います。性描写があると言いたいことの邪魔になってしまう可能性がありますので。
逆に、60年代の少女雑誌の研究で、60年代末に『ハレンチ』ブームと、恐らく性の革命の流れも入ってくるのではないかと思います。60年代末に少女マンガでも、いわゆるハレンチ描写が結構出てくるので、その感覚が、今から見れば、男性目線で描かれたものが多いです。マンガでは、基本的に作家さんの感覚が重要ですが、進歩的なものもあれば、保守的、男目線っぽいものも結構あります。逆に、マンガ以外の内容で考えれば、例えば、マンガ以外の掲載記事がまだあった時代。それは多分、編集者に書かれたものかなと思いますが、もちろん記者の名前が書いてないものですが、そこで、男性目線のものが多いです。例えば、スカートめくりは、男子だからやってるので我慢しろというメッセージが強かったです。驚いた例としては、10代の少女のヌード写真というものがありました。これは『週刊少女フレンド』1970年51号に掲載されています。
竹内 少女のヌード写真?絵じゃなくて、写真ですか?
ダルマ はい。ヌード写真。本当に裸で。普通の少女雑誌に掲載されています。男性目線から、それを支持するように評価されていたようです。今から読めば微妙ですが…。「少女ヌード」とも呼ばれています。
竹内 パトリックさん、何か知ってることありますか、それに関して。
パトリック あり得ます。その当時、やはり少女ブームがあって、写真とマンガは、そこまで離れたメディアではなかったので。多分、今、振り返ってみれば、その雑誌はそのような写真があると思われますね。
ダルマ 感覚としては、一般読者とか少女に受け入れられたわけではない気がしますが、記事自体、これもいいですよ、これは悪くないよ、という風に書かれています。
竹内 そういうところは、現代の少女雑誌とか少女マンガとかとは、ちょっと毛色が違うなという感じがしますね。
ダルマ そうですね。当時は本当に、世間知らずの少女が利用されるかもしれないという感覚が、全然なかったですね。これもおかしかったと感じますが、10代の未成年の胸も何もない少女たちの写真を載せて、「若い頃の状態を写真に収めよう」と進めるかのような言い方もありました…。
竹内 パトリックさんが写真を今、見せてくれています。
パトリック これは研究本ですけれども、高月靖『ロリコン 日本の少女嗜好者たちとその世界』(バジリコ、2009)という本の中に入ってますね。丸々一つのチャプターは、全部そういう写真があります。今は多分NGですけれども。歴史的に考えてみると、その文化があったので、それも美術館的には大事ではないかと思われます。
竹内 そうですね。歴史の中で、そういう写真が許されていた時代というか。80年代にロリコンブームが来る前から、割とそういう写真などは結構マンガと共に、一緒に雑誌に掲載されているということを、偶然にも発見したっていう感じですね。
最後に、ダルマさんの視点から見て、例えば、日本の公的な施設で今、働いているご経験から、海外のマンガ事情やマンガの規制というか、基準についてお伺いします。公的に見せられる、見せられないなども含めて、日本の場合と海外の場合でのと違いというものについて、何か感じていることとがあれば、教えてもらえれば。
ダルマ もちろん一番大きな差は、わいせつ描写が海外で普通に修正なしで出版できるということなんですけど。表現の自由が大事ですが、その上で問題を避けるための工夫が必要だと思います。そして、それを日本でも導入したほうがいいと思いますが、年齢を指定することですね。コミックスの場合、海外では期待される読者層の年齢を本の後ろ側に記入することが多いです。日本は今のままであいまいすぎると思います。例えば、段階として、①誰でも読める、②大体12歳、13歳以上向け、③大体16歳以上向け、④一番上のレベルとしては18歳以上向けの本。そのような区別が日本でもあれば、さまざまな問題も避けられるのではないかと思います。
例えば、今は、少女雑誌、少年雑誌、レディース、青年雑誌と成人向けとか、そういう幅広いジャンルしかないので。もちろん日本で育ってきた読者としては、その少女雑誌は小学生向け、それは中学生とか高校生向けということが大体、分かっていますが、基本的に、どのような内容を掲載するか、その区別は結構あいまいだと思います。そのあいまいさのため、雑誌の歴史の中でも、さまざまなアップダウンとかの流れがあって。例えば、『少女コミックス』がすごくエロ描写を導入した時代があります。しかし批判されるようになってから、またなくしたとか。そういう流れとか、批判を避けるように、もう少し年齢で内容を規定出来れば、出版社の責任もなくなるのではないかと思います。
昔からの大きなジャンルがありますが、少なくともコミックスの場合、想定される読者層の年齢に元づく指定があった方がいいかもしれません。もちろん、あいまいさが残っていますし、海外でも指定された年齢より若い読者も作品を手にすることがありますが、それはもう自己責任、親の責任で、出版社が批判の対象にはなりません。何かスキャンダルや批判されることがあれば、結局、出版社や作品だけではなく、マンガ全体的に何かの悪影響があるので、それをできれば避けたほうがいいのではないかと思います。一目で見ると制限に見えるかもしれませんが、実際表現がもっと自由になれると思います。
恐らく無駄な希望ですが、わいせつ描写への法律がなくなればいいと思います。修正されてもエロがエロですが、修正のやり方や程度に関しても時々問題がありますね。出版社がどこまで修正をなくせるか限界を押し上げ続けていますが、問題になるとまた修正が強まります。オトナの読者としてこれはガッカリしますね。18禁の規定が「物語なしのエロ」(海外でいわゆるPWP、porn without plot)というアプローチも良くないですね。それがなければ、もしかしたら流通の問題も解決できますし、BLにももっと簡単に付けられるかもしれません。18禁のレッテルの悪い印象が変われば、大人向け、激しい性表現があっても物語もあるという作品にも適応できれば、表現がもっと自由になれると思います。ちなみに、海外でBLやエロマンガの違法スキャンをやってる人たちは、もう長い間エロシーンの修正をフォトショップで描き直します。
竹内 日本のようなあいまいな区分けが、いい部分もあるけれども、現状、それがトラブルになってる部分もあると。
ダルマ そうですね。BLマンガでも、やっぱり修正をどこまで薄めるか。批判されると、修正をまた強める、とか、そういう流れが結構ありますので。海外で育てられてきた、修正を基本的に嫌ってる読者として、それはすごくがっかりです。BLマンガも16禁とか18禁にすれば、別にいい。もちろん法律的に、まだ日本でそういうわいせつ描写に対して、それを修正しないといけないとは分かっていますが、その法律もすごくあいまいですし、なくても別にいいと思います。それに、感覚として18禁であれば、日本では必ず成人コミックスになる。物語がない、エロしかないという作品がほとんどになっているので、それは、おかしいなと思います。海外でしたら、何かの激しい描写、暴力や性表現が入っているものを示しているんですけど、物語については何も語っていないです。すごく深い文学的な作品も18禁に普通にカテゴライズされる。それは日本マンガの中でない気がします。
竹内 確かにそうですね。ありがとうございます。きょうのインタビューで、美術館のことや、展示とか収蔵品のことについて、ダルマさんの研究について、たくさん知ることができました。どうもありがとうございます。何か皆さんのほうから一言ずつ、最後に感想などいただければと思います。
大城 いろいろ難しいなって思いながら聞いてたんですけれども。本当に、基本的に自由が表現できるような、そして、さきほども言われていたBLの18禁とか16禁とか。日本って、やはり自由だと思うんですよね。でも、その自由が、なかなか自由と結び付いていないというか。出版社と表現者と、マンガだけじゃなくいろいろなつながりがあって、読者に届いているわけなので。だから、表現の問題、自由の問題というのは、いろいろなところを複雑に絡み合わせて考えないといけないんだなと、ダルマさんの話を聞いて、本当に考えさせられました。ありがとうございました。
杉本 マンガと関係あるかどうか分からないのですが、ダルマさんがずっと京都にいて、今、秋田のほうにいますね。恐らく、そちらのほうは空気がきれいかと思いますけど。住む環境で、車がないとどこにも行けないとか、ある程度不便だったりするかもしれません。でも研究に集中できるかな、と。どうですかね、そういう機会もありますかね。
ダルマ 不便なところのほうが多いかもしれません。日常的な生活の上だけでなく、研究に関して、京都もしくは東京であれば、図書館は結構アクセスしやすいので。ここは、雑誌を使いたいとか比較したい場合、やはり東京とか京都に行くしかないですね。それは不便だと思います。
杉本 いいことばかりではない。
ダルマ そうですね。もう少し北日本にも何か、マンガとかマンガ雑誌をたくさん収蔵している施設ができればいいなと思いました。ここは原画に特化しているので、できない。物理的にもできないと思いますけど、どこかで、もう少し施設があればいいなと思います。
竹内 結構、西に集中してますもんね、マンガ関連施設が。東北とか北海道とかは、そういう施設が少ないですね。展覧会とかも結構やってたりするんですけど、北海道の美術館では。でも、大規模なマンガ施設がないので。土地はいっぱいあるから、つくればいいとは思うんですけど。
ダルマ そうですね。それに、原画収蔵に関しても、基本的に美術館のキャパシティーは70万枚なんですけど、今の段階で、もう40万以上あるので、半分以上埋まっているので、それ以上たくさんマンガの原画が、まだアーカイブしなければならないので、もう少し施設を増やさないといけないと思います。
竹内 増田まんが美術館以外にも原画を収集したり、原画だけではなく、付録だったり、雑誌だったり、いろいろなものをアーカイブする施設が必要ですよね。
ダルマ そうですね。実際、エロマンガとかBLなども収蔵しないといけないなと。そのような施設も必要だと思います。しかし、公的機関としては、いろいろ問題が出てくるので、そこは誰か、プライベートでできればいいなと思います。
パトリック まさにその点についてですけれども。永井豪先生の『ハレンチ学園』はアウトなのか、と疑問に思ったのですが。それは、やはり面白いですね。その作品も古典で、クラシックで、ものすごく画期的な作品だったんですけれども、それもやはり今の見方から見ると、ちょっと下品だとおっしゃいましたけど、それもやはり面白いですね。私から見ると、『しんちゃん』も相当下品ですから。だから、どういうふうに価値判断するかについてすごく面白い刺激をいただきました。これからも、いろいろ議論しながら考えたいと思いました。ありがとうございました。
濱野 今日は非常に貴重なお話をありがとうございました。印象に残ったのは、下品っていうコードのあいまいさというか。でも、便利ですよね。これは下品だって簡単に言えちゃうけど、あんまりみんな、それ以上つっこまないじゃないですか。そういう便利なコードなんだなっていうので。これって、表現規制とかいうところにも使われるし。あと、トップダウン的な行動っていうか、ルールを必要としない。それぞれのフィールド、テリトリー、セクションで、これは下品だねとかいう形で運用できるっていう、非常に面白い現象だなと思って。これは考えてみる必要があるかなと思いました。
あと、もう一つは、読者としてと展覧会の企画者としてのマンガの扱い方、マンガとの関わり方に差があることでしたの。私たちは読者兼研究者っていうそのようなずれについて、多分ずらしたくないっていう人のほうが研究者のほうには多いような気がするんですけども。読者としての経験を大事にして研究するっていうタイプが多いんですけれども、今回聞いたお話では、施設展示とかアーカイブ管理者とかいう立場としてマンガに携わることと、一読者としての経験のずれみたいなものってのは論点として非常に興味深いテーマなのかなと思います。そういったずれっていうのは、あんまり客観的に形にしてないっていうか、そういうことに関して、あらためて問題提起してみたり、こういった場で話してみたりっていうことは、まだあまりされていないんじゃないかなと。マンガ研究が、読者イコール研究者イコール施設管理者、あるいは、それをアーカイブしていく人たちは、みんな共感できてるっていう。同じコードを共有できてるっていう形で進められているけれども、それぞれの現場で、同じ人であっても違う立場から同じ作品に関わらなきゃいけない。これは限りなく社会的な興味関心です。文脈に応じて、それぞれのマンガとのコミュニケーションのパターンが変化していくってとこは、興味深いお話でした。どうもありがとうございました。
竹内 ありがとうございます。私からも一言。非常に刺激になりましたし、すごく、増田まんが美術館の取り組みについて、特に原画を中心に据えるっていう点は独自性があると感じました。あとは、やはり京都国際マンガミュージアムや北九州市漫画ミュージアムなどとはまた少し違う、秋田の美術館という特性もあって。意外と厳しくない雰囲気で運営されてるのかなという印象がありました。そういう緩さみたいなところから、結構広がるものもあるんじゃないかなと思いました。ダルマさんの研究も、実際の現物に当たって研究されてるっていうところも、非常にやっぱり重要だなと思います。さまざまなテーマで、これからも、私も自分の研究とかに関しても、もっといろいろ協力をお願いしたいなと思う部分もありました。今回は伺えなかったんですけど、例えば、子ども向けとか来場者向けのワークショップをどういうふうにやってるのかなど。
ダルマ あります。
竹内 そうですよね。ホームページを見たときに、来場者の参加者と一緒に雑誌を作るプロジェクトみたいなのがあるというのを知りました。同人誌みたいなものを作る企画があったりするっていうのを見て、すごく面白い取り組みだなと思うので。やっぱりマンガミュージアムって、いろいろな文化が混ざり合ってる。一美術館の文化とマンガの文化と、あとは、その土地の文化とか、非常に融合してる施設だなと思うので、現在のアクチュアルな問題がそこに出てきたりするということもあるのかなと、すごく感じました。今日は本当に、どうもありがとうございました。
(了)
Information
横手市増田まんが美術館
住所:秋田県横手市増田町増田字新町285
開館時間:10時00分~18時00分
休館:第3火曜日(祝日の場合は翌日)
入場料:常設展は無料(特別企画展は有料)
http://manga-museum.com