【前編】永山薫氏との座談会(実施日:2020年11月22日)

永山薫氏との座談会 (前編)
実施日:2020年11月22日
主催:女性MANGA研究プロジェクト

出席者
永山薫
大城房美
ガルブレイス・パトリック・W
杉本バウエンス・ジェシカ
長池一美
竹内美帆
濱野健


大城房美(以下・大城):本日は女性MANGA研究プロジェクト第1回の座談会で、永山薫さんをお招きすることができました。よろしくお願い致します。永山さんは『エロマンガ・スタディーズ』を2006年に出版され、その直後始められた『マンガ論争』は現在も継続中で、第23号が出されたばかりです。今日は、なぜ『マンガ論争』を始められたのでしょうかという、そういう基本的なところから始めさせていただけると、ありがたいです。

永山薫(以下・永山):まず、『マンガ論争勃発』(2007年、マイクロマガジン社)というインタビュー集があって、その次に『マンガ論争2』(2009年)を出しました。その2冊を出した後で、東京都の都条例問題っていうのが起きて、それについて第3号を出そうという話になったんですけれども、単行本だと時間もかかるし、取りあえず雑誌形式で出そうということで、『マンガ論争2.5』(2010年)というのを出しました。それが、「勃発」を外した『マンガ論争』の始まりです。
 そもそも『マンガ論争勃発』を出そうっていう話になったのは、やはりその頃っていうのは、例えば児童ポルノ禁止法の改正とか、その辺に絡んで、横浜会議があったりして、そこでいろいろ人が集まって、連絡網AMIができて、これは記録を残していったほうがいいんじゃないかっていう話になったんです。運動史的なものを作れないかっていう話になったんですけれども、どうもそれだと一般の出版社は、食い付いてこないです。もっと幅広く表現規制問題についての声を集めた本を作って、一般に見せられないか。それが企画が通りまして。実際『マンガ論争勃発』を見ていただければ、ポルノの研究で主に反対されている中里見博先生とか、そういう方々も入っています。流通関係者とかも入ってますし、上野千鶴子先生とか、そういう学術系の方も入っています。上野先生には、ものすごいお世話になったんです、実は。

大城:そうなんですね。

永山:上野先生は、旅先にまでノートパソコン持っていって、ご自分のインタビュー部分のゲラを見ていただいたんです。だからものすごいお世話になったなと。意見は僕と違うところはあるんですけれども、僕は恩義を感じてるし、非常に尊敬しています。随分、刺激も受けました。結局その後『勃発2」まで出して、2.5から雑誌形式になりました。出版社が版元で、僕はあくまでも編集という立場で、昼間たかし君と共同編集という形でやりました。ご存じかもしれないけども、昼間たかし君が、途中で問題を起こしまして、もう共同編集人を降りてくれっていう形で、辞めていただきました。
 その後、経営的に苦しくなって、版元がもう引き揚げるっていうことになり、版元がやってたネットメディアも全部閉鎖になってしまったんですね。でもやっぱり続けないと駄目でしょ。なので『マンガ論争9』からこちらっていうのは、私がまだ会社を持ってたときに、その会社でやり、会社が休眠状態に入ってから、私の個人事務所で出し続けてるという形です。
 収支はどうなのかっていうと、私の労働力などを入れると、大赤字です。これ版元からお金もらって編集してたときは、なんやかんやで、1回の編集費と経費で50万ぐらい使えたんです。今その50万分っていうのが、丸ごと赤字になってるという形です。計算上ですよ、あくまでも。だけど、何とかかんとか今まで続けてきて、現在に至るわけですけれども、ようやく明日のコミティアで、新しいやつを紙の形で出せると。もう電子版の形では先行で出していますけれども、(紙媒体でも)出せるということです。
 一つこれは、あらかじめ言っておいたほうがいいんですけれども、私は研究者というよりは、どちらかというと批評家なので、その辺はスタンスの違いはあると思うんです。だから研究活動というよりは、どちらかっていうと、批評とかジャーナリスティックな動きなんです。だからこれ学術的な面からいうと、結構、穴だらけかもしれません。そういうメソッドは僕にはないので。ただ『エロマンガ・スタディーズ』に関していえば、「スタディーズ」って付けちゃったんで、「なんでこれ学術書じゃないのに、スタディーズなんだ」って突っ込まれたりもしましたけれども。社会学やってるかたがたの資料になれば、全然それはいいなと思ってるのでっていう感じです。

大城:『マンガ論争』を出版されてきたことで、永山さんご自身のジェンダーとか、性の多様性の問題や意識が広がったのでしょうか。

永山:それはあんまりないです。というのはなんでかっていうと、これはもう、これ話し始めるとすごく長くなるんですけども。そもそも・・・。

大城:それでは『エロマンガ・スタディーズ』との関連からはいかがでしょうか。『エロマンガ・スタディーズ』を『マンガ論争』の直前に出されてます。

永山:はい。

大城:その順番から考えると、『エロマンガ・スタディーズ』が、永山さんのその後の研究活動の方向性を決めた出発点のような感じがあるんですが。

永山:正確にいうとそうではなくて。

大城:『マンガ論争』と『エロマンガ・スタディーズ』の立ち位置は、永山さんにとってどんな感じなんでしょうか。

永山:思春期のときに、やはり他の人とは違う、身の周りの人と違うっていうことがあって。そこですごいジェンダー的な揺らぎみたいなのがあったわけです。例えば男の子好きになっちゃったりとか。それから、かといって、それゲイかなって思ってると、女の子好きになっちゃったりとか。そういうのがあって、当時いろんな本を読んだりとかして、揺らぎっぱなしのまま、現在に至るわけなんですけれども。この辺いろいろ深い話とか、人と話して参考になったりしたこともあるんですけども。ジェンダー・アイデンティティっていうのは、その頃から、もう言葉にはなってないけども、関心がありました。
 そこが出発点で、じゃあ、あなたバイセクシャルですかって言われると、それもどうも違和感はある。いろんなものが入り込んできているので、それは一概にいえない。多様性って言い方はするけれども、そもそも個人の中、個人の内側、内心っていうものの中にも、多様性っていうのは組み込まれているんじゃないかっていうような考えに至ったわけです。これが文章として表に出るきっかけになったのが、『網状言論』という東浩紀さん主宰のネット会議です。小谷真理さん、伊藤剛さん、竹熊健太郎さん,斎藤環さんが参加して、主にオタクのセクシュアリティについて語るというのがテーマで、ネット上で議論を繰り広げて、それが後に『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』(青土社、2003年)というアンソロジー的な本にまとめられたっていうか、書き下ろしたり、中に対談が入ったりするんですけども。そこで大体、言いたいことを言ってしまったわけです。ジェンダーに関することとか。

大城:さっき『網状言論F改』についてちょっとみんなで話をしていました。私自身、この本に収められている永山さんの「越境する蜜蜂」というエッセイで、永山さんが「私は気持ち良く生きるにはどうすればいいかということしか考えていないし、私のあらゆる言説はそこに収斂する」といわれているのが、とても好きなんです。

永山:ありがとうございます。

大城:いえ。

永山:『網状言論』が、割と私の中にある考え方とかを表に出すきっかけになりました。それで『網状言論』の出版記念イベントでトークショーがあったんです。『網状言論』のメンバー全員が出てきて、トークショーをやったわけです。1人ずつスピーチをしたんですけども、その中で僕は挑発的なことを言って。「例えば私がここで急に、実は私は女性なんですって言いだしたら、あなたたちはどう思いますか?」っていうようなことを、聴衆に投げ掛けたんです。これは私がそういう自認をしているのだということを言い募れば、誰も否定できないんです、他人の内心をのぞくことができないので。反論はできますよ。「どうしたってあなた見た目は男性じゃないですか」と言われたら、「だから体は男性ですよ」って言うことができるし、「結婚して子どももいるでしょ」って言われたら、「それは偽装結婚です」って言うこともできるわけです。内心の問題っていうのは、非常にややこしくて。そのジェンダーやセクシュアリティを自認する主体と、社会的にカミングアウトする主体っていうのも、またいるわけです。内心とカミングアウトっていうのは、また別だと私は思ってます。
 例えば最近のネット上の議論なんかを見てると、GIDとトランスジェンダーが、ほぼ同一のように語られていて私には違和感があります。異性装の分野に限ってみても、同じように異性装をしていても、GIDの方も当然いらっしゃいますし、トランスジェンダーの方もいるし、トランスセクシャルの人もいる、クロスドレッサーもいる。例えばそこで、「私はトランスジェンダーです」。あるいは「トランスセクシャルです」。「トランスヴェスタイトです」。あるいは「クロスドレッサーです」ってカムアウトされたとしても、内心はどうかっていうと、分からないわけです。実際はGIDかもしれない。実際はクロスドレッサーで、ストレートの方かもしれない。だからそれは本当に、エスパーでもなければ分からない世界なんですけれども、非常にそこが今、政治的な言説にまみれてるっていうのは、僕はちょっと違和感というか、嫌な感じを覚えてます。
 そういう感じで、『網状言論F改』で好きなこと言って、「俺、エロマンガについては詳しいし、一時期は月100冊読んでたから、これについて語らせろ、書かせろ」って言ったら、編集者が、お願いしますって言ってきたんで、最初の『エロマンガ・スタディーズ』ができました。

大城:なるほど。

永山:その後、『マンガ論争』の話は運動関係者とかいろいろ絡んでくるんですけども、良好な関係を築きつつ作っていったと。表現規制問題が中心で、あまりジェンダーとは関係ないです。全く関係ないかっていうと、実は関係するんですけれども、それはまた法律とかそういうものとはレイヤーが違う問題なので、直接的に大きな関係はないです。
 ただ、「なぜ最近の傾向としてBLばかりやり玉に挙がるのか、そこに性差別はないのか」っていうのは、当然、出てくると思います。ただ、規制する側は、絶対にそれは認めません。あくまでもこれは青少年にとって有害であるとか、不健全であるっていう論理です。なぜなら、そこにセックスが描かれてるから。彼らの考え方っていうのは、同性愛であろうが異性愛であろうが、なんであろうが、セックスを描くこと自体がよくない。そういう姿勢なんです。だからそこで女性差別だっていってみても、恐らく通じない。多少、情状される可能性がなくもないんですが、絶対、彼らは口を割りません。
 一回だけぽろっと言っちゃったのが、話題になり、問題になったんですけども、ある女性委員が、委員を辞めるときの挨拶で、「BLみたいなこのようなものは、本屋で売らないようにしてほしい」って言っちゃったのを傍聴人が聞いていた。それが議事録から削除されていた。非常に問題になりまして、それはおかしいんじゃないかと。当然ですけれども。それは差別じゃないかと。しかもそれを言った人が女性だったっていう。女性だからどうのこうのではなくて、BLを嫌ってるのは男性だけじゃなくて、男女にかかわらず、ジェンダー的なもの、いわゆるゲイフォビア、ホモフォビアが無自覚に作用している部分は確実にあると思いますが、公式では絶対、認めません。

大城:ありがとうございます。つぎに、『エロマンガ・スタディーズ』から現在の『マンガ論争』までで、何か変化したことがあればお伺いしたいです。また、増補版の『エロマンガ・スタディーズ』(筑摩書房、2014年)について、最初に出された『エロマンガ・スタディーズ』(イースト・プレス 、2006年)と違うところがあれば、お話しいただければと思います。

永山:『エロマンガ・スタディーズ』の増補版は文庫になってますから、版型がまず違うっていうのと、40ページぐらいは増補をしてます。それはどういうことかっていうと、最初の版が出て、その後の状況を書いたっていうのと、あと東浩紀さんが長文の解説を書いてくれた。そこが違います。だから、実はそんなに大きく状況変わってないんですけれども、エロマンガが取り上げる流行みたいなものが多少、変わってきて、最初の本が出てから、例えばネトラレとか、それから男の娘のちっちゃいブームが来たりとか。そういう部分がいろいろあって、多少その辺を書き加えたっていう形になります。

大城:なるほど。今回『エロマンガ・スタディーズ』の英訳版を出されることが、この座談会の一つの大きなきっかけになっています。『エロマンガ・スタディーズ』とか『マンガ論争』の流れが、海外にも向かっているという瞬間を意識されたのは、どういうときだったのでしょうか。

永山:やはり海外でも読んでほしいなと思ったのは、ちょっと名前がすぐ出てこないですけども、メキシコの研究者の方とFacebookの上で知り合いまして、彼は日本語で『エロマンガ・スタディーズ』読んでて、それが大学院生だったんです。日本のエロマンガについて論文を書いて、それ博士論文にして出したんです。ところが、メキシコでは誰一人として査読できる人がいないんで、却下されたんです。だからそういう研究者自身にも届いてほしいし、査読する側の先生がたにも読んでいただければ、少しは状況が変わるかなっていうのが一つありました。
 これもいつものパターンなんですけども、「誰か翻訳しない?」って言ったら、「私やりますよ」って言ってくれたのが、最初は確かジェシカさんだったと、僕は記憶してるんですけども。その話をパトリックさんと話してたら、「私もやるよ」みたいな話になって。考えてみたら、ジェシカさんは私の本を教科書に使ってたりするし、パトリックさんは、マンガとオタクに関してはものすごい詳しいので、この2人が組んだら最高だろうなと思って、お願いしますっていう形になったと記憶しています。

大城:今日は『エロマンガ・スタディーズ』を英訳されたガルブレイス・パトリック・Wさんと杉本バウエンス・ジェシカさんに、ここにおいでいただいています。読者として、研究者として、またこの本のサポーターとして、なぜこの『エロマンガ・スタディーズ』を英訳しようと思われたのかについて、永山さん、ここでお二人に一言ずつお話ししてもらってもいいでしょうか。

永山:いいですよ。ちょっとその前に、まだ直接お二人とは会えてないので、ここでお礼を言わせてください。本当に、ありがとう。本当にうれしいです。

大城:そうなんですね。

永山:続けてください。

大城:ではまず、ジェシカさんからお話しいただいていいですか。

杉本バウエンス・ジェシカ(以下・杉本バウエンス):私からは光栄でした。頼まれて。あと英語のネーティブスピーカーではないので、ちょっと不安もあって。私が初めて教科書として使ってたことも分からなくて、ゼミで今まで使った人がいないと、逆に不思議で。確かにそのとき、どうやらTwitterってちょっと話題になってたんですけど、私、Twitterをしませんので、Twitterをやってたら心が持ちませんので・・・。
 私としてはちょっと怖いというか心配なのは、さっき先生が話ししたとおり、今は性的なものを、もともと娯楽、エンターテインメントとして考えて、そしてそれと関連の言葉、あるいは政治的なものとなって、差別的であるとか、そういうところでなんか突っ込まれたらどうしようと、ちょっと思ったことがあるんです。そういう面はもしかしてパトリックさんのほうが詳しいかもしれないんですけど。日本ではそれほどでもないんですけど、英語圏では非常に政治的になってます。私はフィクションについて話してますとは言ってても、いや、表象、暴力であるという、ずっとやっぱりそこにいくので。ちょっと心配もあります。

大城:ありがとうございます。ではパトリックさん、お話しいただけますか。

ガルブレイス・パトリック・W(以下・ガルブレイス):非常に素晴らしい研究書だと思いまして、ぜひ読んでほしいと思いました。それはジェシカさんがおっしゃったとおりですけど、海外の言説は非常に乏しいです。毎回同じことを繰り返している。例えば先月、オーストラリアでエロマンガ禁止っていうふうな方向が示されたんです。それはなぜ禁止するか。その大げさな反応はどこから来るか。それはやはり何も分かってないから。だからそういうふうなこと、細かい情報とか歴史とかジャンルとか、何も分かってません。それは政治につながってしまうと、危ないです。だからやはりこの本は記録用に欲しいと思いました。

大城:あと竹内美帆さんから、英語の翻訳の苦労などについての質問があるんですが、竹内さんから直接質問してもらっていいですか。

竹内美帆(以下・竹内):今、この『エロマンガ・スタディーズ』をどうして英語化したいのかっていうことを、ジェシカさんとパトリックさんからお伺いしたと思うんですけれども、それについて永山さんはどういうふうにお考えになったのかっていうことを、ちょっと伺えればなと。

永山:先にその話をすればいいのか。僕自身は、今も言ったように、海外の研究者にまず届いてくれて、そこから少しずつ認識が変わってくれればいいっていうような感じです。オーストラリアの話が出ましたけども、例えばオーストラリアで日本のエロマンガが解禁になるとか、そういう大きな期待は全くしてないんですけども、見る目が変わるだろうし、そこで結局、今BLとかも含めてですけども、日本でこれだけ性的な表現があって、それは幅もあるし、奥行きもあるっていうことを分かっていただいて、敬意を持ってくれる人が増えるといいなぐらいの感じです。それをあんまり大きな期待はしていません。そもそも。ただ、少しでも改善できればいいなぐらいの気持ちです。
 オーストラリアの例でいうと、これは山口弁護士も前、言ってましたけども、彼はオーストラリアの学会の後、友人の元国会議員と会って話したそうなんですが、元議員は、エロマンガがオーストラリアで禁止されていること自体、知らなかったと。これは規制における一番大きな問題で、いったん規制されてしまうと、検証できなくなるんです。果たしてそれがどういうものなのか。なぜ当局が、あるいは世論も含めてですけれども、これがなぜ悪いとされたのかっていうの、後世の検証っていうのが、全くできなくなってしまうんです。それが一番危険だと思っています。

大城:ありがとうございます。いま長池一美さんの声が入ってきました。

長池一美(以下・長池):すいません。長池です。カットインして申し訳ないんですが、ちょっとお聞きしたくて。『エロマンガ・スタディーズ』を出したときに、国内ではなんか批判みたいな、こんなもん表に出しやがってっていう人もいたんでしょうか。それとも、もちろん、よく出してくれたっていう人が、私たちも含めて多かったと思うんですが、反対にアンチみたいなものから意見を伺ったりしたことはありますか。

永山:ないです。ただ、Amazonのコメントを見ると、日本はなんで少女趣味なんだとか、明らかに読んでないで文句言ってる人はいたみたいですけども、直接、私に対する批判とか本に対する批判は別になかったです。

長池:分かりました。ありがとうございます。

大城:「エロマンガ」に関しましては、米沢嘉博さんのエッセイが、後で論集になりましたけれども、それに対して意識されるとか、そういうところはどうだったんでしょうか、永山さん。

永山:それはすごくありました。僕が本を書いてる最中に、彼が『アックス』で連載してたんです、『戦後エロマンガ史』を。ただアプローチが全然違う。彼は書誌的なことをやってて、アプローチの仕方が違う。本になるとしたら同時期だろうなと思ってました。そうすると相互的に補完して、幅広く理解が進むんではないかと思ってたんです。米沢さんは生前、私に対して、「僕はこの辺までやるから、あとは頼むよ」みたいなこと言ってたんです。ただそれが連載が進むにつれて、だんだんこの「あと」を頼むよっていうのが、70年代から80年代になりっていうふうに、徐々にどんどん後のほうになってたんですけども。それはアプローチが違うので、僕がやっても全然いいわけだからと思ってると、彼のほうが先に亡くなっちゃって。結局、本も同時には出なかったんです。あれはまた、すごい価値のある本なので、どっかから再版されないかなと思ってます。米沢さんの本は意識してたし、米沢さんのほうも、私がそういうのを書いてるっていうのは、当然ご存じでした。

大城:そうだったんですね。永山さんと米沢さん、お二人のお仕事は、当時同時進行でされてたんじゃないかなってちょっと思っていましたので、質問させていただきました。

永山:米沢さんは、もともとエロマンガも大好きな人なんです。大体あの人ひどくて、SF大会なんかで会うと、「エロがいる」って言って、笑いながら寄ってくるし。

大城:私、SFではロボット博士かなと思ってました。

永山:そんなことない。変な人です。

大城:それでは先ほどの竹内さんの質問に、戻ってもいいですか。『エロマンガ・スタディーズ』の英語の翻訳についての質問です。

竹内:『エロマンガ・スタディーズ』を英語訳してほしいっていう声は、主にどのような立場の人たちから上がってきたんでしょうか。これはジェシカさんとパトリックさんに聞いたほうがいい質問かもしれませんが。

ガルブレイス:先に私が言わせていただきます。やはり学生さんたちと研究者みんなは読みたいんですけれども、日本語そのままで読めなくて。だからこの情報は、ベースとして研究してほしいんです。こういうふうな会話に入りたいんです。でも入れない人もいまして。あと政治家とか活動家とか、いろんな人がこの情報をすごく欲しがってるような気がしまして、しょっちゅうジャンルレスから、今もなお、そうですけれども、私に質問、来てるんですけれども、この本読んでくださいと言いたいんですけど、それは薦められなかったんです。日本語ですから。でもこれは、これからやる、みんなそう言ってます。読んでください。読んでから、もう一度話しましょうっていうふうに、薦めてます。最近はジャンルレスが非常に多いです。

大城:あと事前打ち合わせで、竹内さんから英語翻訳の図版について質問があったのですが、マンガに関する本なので、私も興味があります。ここで翻訳者のお二人と永山さんにお聞きしていいかなと思うんですが、図版はどれぐらい許可されたのでしょうか。日本語版と英語版と大きく違うところは、もしかしたら画像ではないかと思うのですがいかがでしょうか。永山さん的には、これが入れたかったのにとか、入らなくてがっかりしたとか、あったのでしょうか。また翻訳担当されたジェシカさんとパトリックさんは、いかがでしょうか。

永山:私は、具体的にどれがどうっていうのは、あんまり把握してないです。それから、まず一番最初の『エロマンガ・スタディーズ』と増補版では、そこでも異同があります。というのは、入らない。サイズ的に。それで一回そこでいくつかはなくなってると思います。次に台湾版も出たんですけれども、台湾版は一応、成人指定で出されたんですが、やはりそこでもいくつかの図版は削られています。英語版でも削られてると思うんですけど、ちょっとそれはまだ確認してません。ただ、そうしないと、例えばイギリスとか、それこそオーストラリアとか、非常にレギュレーションに厳しい国があって、そこに入らないと、やはり意味がないっていうのもあるので、それはもう翻訳をされた2人と、それから大学の出版局ですけれども、そちらの判断に委ねました。

大城:この点に関しては、ジェシカさんとパトリックさん、いかがでしょうか。ジェシカさんからお話しいただけますか。

杉本バウエンス:私は結構その女性の描き手としては、エロマンガに仕事がある。日本で割と、女性にとっても性表現は、男性よりは若干、低いんですけど、結構、自由の度が高いというところは、すごく気になってて、これをいいものとして強調したいです。これは全部ファンタジーでフィクションのもので、被害者みたいなものが当然いないんですけど、それを理解するためにも、これは重要な一冊だと思います。それも読まなければ、ただやっぱり絵を見て、法律上にはこれは児童ポルノになる。これで私はいつもすごく違和感を感じるのは、例えば、竹宮惠子先生の古典的な物語、日本のいくつか非常に重要なマンガ賞とかをもらったような作品でも、海外に行ったら、とんでもない、子どもに対して暴力を振るうような犯罪者と同じ扱いになるって、すごい違和感があって。重要な本で、例えば図版が削られても出すべきだと思いました。図版がないと、一部ちょっと理解しにくいかもしれないんですけど、十分に言葉で伝わると思います。祈ります。

大城:パトリックさん、いかがでしょうか。

ガルブレイス:図版について一つ言いたいんですけれども、やはり一番警戒されてるのは、ロリコンでした。そのチャプターは一番にやばいそうです。その一番最後に出る「ぷに絵、」ちっちゃいぬいぐるみみたいな子いるじゃないですか(注:『増補 エロマンガ・スタディーズ』(2014)のpp.158-159の図版)。その図版で。それは完全アウト。一番はっきりでした。これは見せちゃ駄目ですというふうに言われました。その他は交渉できたんですけれども、ロリコンはやっぱり、これ以上できませんというふうに言われました。

長池:ちょっと聞いてもいいですか。

大城:どうぞ。

長池:ショタの図版も結構ありますよね。いくつか。ショタ、男の娘、ふたなりの。そちらのほうは、ロリコンに比べれば、大丈夫だったって感じですか。

ガルブレイス:そうですね。男の娘の黒のメイド、図が出てるんですけれども、それはそこまで問題視されなかったです。やはり・・・。

長池:ロリコンか。

ガルブレイス:女の子、その言葉と言説が一番、意識されているような気がしました。それとやっぱり性暴力です。その凌辱のチャプターは、それもちょっとだけですけど、その二つです。永山先生が指摘してるとおり、やはりその年齢と暴力、それが一番、問題視されてます。

長池:ありがとうございます。

大城:永山さん、今のお話で、ロリコンが一番駄目だったっていうところについて、いかがでしょうか。

永山:これは実際に捕まった人いるので。例えばカナダ国境を越えるときに、アメリカ人の青年が捕まって、性犯罪者扱いされて、裁判で争って、最終的には勝つんですけれども、何年もかかったし、裁判費用もかなりかかったっていう事件です。そのときカナダに入国する際に、パソコンの中から発見されたっていうのが、「でふぉるめ四十八手」っていう、3頭身の男の子と女の子が、絡まり合ってる。わいせつというよりは、かわいいものだったんですけれども、3頭身なんです。3頭身でも駄目だと。

大城:3頭身だと、「チビ」といわれる、かわいいイメージですよね。

永山:3頭身でも駄目なんです。あと、スウェーデンのシモン・ルンドストロームの事件もありましたし。これは恐ろしい話で、離婚裁判中に奥さんが密告したっていう。シモンさんっていうのは、マンガの翻訳者で、マンガの研究者でもあったわけで、当然そういうのは持ってるわけです。それで逮捕されて、最終的にはこれも無罪になった。それからあとイギリスだったか、シンプソンズのエロパロが、やはり児童ポルノに扱われたっていう事件があります。特にイギリス連邦系のところは非常に厳しいので、イギリス連邦系の所で出せないとなると、全く意味がまた変わってきちゃうので、図版については、ある程度それは仕方がないことだと思ってます。そこはもう、とにかく本文を読んで、考えてくれ。どうしても見たい人は、日本に来てくださいみたいな感じです。

大城:なるほど。ジェシカさんとパトリックさんはどうお考えになりますか。ある程度はもう仕方がないっていうふうに、今、永山さんがおっしゃったんですけれども。

杉本バウエンス:仕方がないですけど、非常に怖いですよね。これをインターネットで見るだけでも、その国にいれば犯罪となると分かっていない人が多くて。例えば私のやりとりで、マーク・マクレランド(Mark McLelland)この間、残念ながら亡くなられたばかりなんですけど。彼にはBL小説のスキャンを送ってたんです。登場人物は未成年ではない。受けのキャラクターとかも、一応、記者という設定で、大人の男性なんですけど、ひょっとしたら、オーストラリアだったら、見た目がもしかして高校生とか未成年に見えるかもしれないので、BL小説のスキャンを送って、送る前に、ちょっとエロな挿絵を全部切り取って、PDFにして送ってたわけです。そこまでしないと、ひょっとしたら向こうで法律とちょっとの絡みとなって、非常に注意が必要で。これは私たちには分かってるんですけど、ファンとかには、マクレランドさんはそういう論文も出してて、若い人には分からないんです。未成年者が恐らく気付かないうちに、国のほうで、通常では児童ポルノとされてるようなマンガ、普通に読んでるというのは結構あると思います。

大城:それでは、竹内さんの最後の質問にいってもいいですか。竹内さん、手元にはありますか。

竹内:今後の反応次第っていうところもあると思うんですけれども、この英語訳が出ることによって、海外のコミックス研究とかファンたちが置かれている状況に対して、どういうインパクトがあるとお考えでしょうか。

大城:いかがでしょうか。永山さん。

永山:これはちょっとさっきも触れましたけれども、日本のマンガっていうのが、その国の法律に合わせて翻訳され、出版されているものばかりではないという。もっと広がりがあるものだっていうことが、まず伝わるんじゃないかなっていう。そういう理解につながっていくといいなとは思ってます。「こんなの児童ポルノじゃないか」とか、「性暴力じゃないか」とか言われますが、その辺、日本とは捉え方が全然違う。日本では児童ポルノで捕まってる人たちは、一部のCGを除いては、全部写真なんです。
 それともう一つの問題は、児童ポルノという言葉自体にすごい問題があるんです。児童ポルノっていうと、被害者であると同時に出演者みたいなことになってしまうわけです。だからこれはICPOなんかも言ってるんですけれども、児童性虐待記録物っていうような言い方にすべきだと。そうしないと児童ポルノの出演者って言われるだけで、それは二次被害になると。それはひどいだろうっていうことで言ってるんですけども。例えば日本でもそういう意見が出たときの対応っていうのは、「もう児童ポルノっていう言葉自体定着してるから、変える必要がない」みたいな議論になっちゃって、それきりになってるんです。だから、どこまで子どもを守ろうとしているのかな?っていう気はします。
 その辺、国によって法律は違うし、宗教的な感覚も違うんですけども、先ほど名前出たスウェーデンのシモンさんなんかは、スウェーデンは非常に子どもについては原理主義的だと。性的な文脈の中で子どもを描くこと自体良くないことみたいになっちゃってると。それは原理主義であり宗教だって言ってましたけど。その辺でなかなか簡単に説得したりすることは難しいんですけれども、そこで少しでも私の本からインパクト受けて、こういう考え方もあるんだっていうのが伝わればいいなというのが、私の考え方です。

竹内:ありがとうございます。

大城:ありがとうございます。それでは、この辺で、大体前半のために準備していた質問を、永山さんにお答えいただいたように思います。『エロマンガ・スタディーズ』の英語訳について、そしてまた初期活動についてです。ここまでの質問に加えて、何かお聞きしたいことなどありますでしょうか。長池さん、お願いします。

長池:すいません。後半でもいいんですけれども、本当に今いろんなすごく大切なご意見をお聞きして、海外の例とかもシェアしていただいたところなので。それこそマーク・マクレランドが書いていたように、本当の児童ポルノのアダルトサイトは、実はヨーロッパと北米がほとんどを占めていて、このマンガとか規制しようというのは、政治的な駆け引きになっていると思います。これはもうオリエンタリズムみたいな感じで、スタンダードは西洋で、そこから見て日本のマンガはおかしい、そこから見て子どもに見えるものは、もうこれは児童ポルノだというふうな、オリエンタリズム的な言説とかそういうものも感じられますか。

大城:永山さん、いかがでしょう。

永山:それはすごく感じます。やはり確かに彼らの文化、それから宗教観から見たら、奇異に映る部分もあるだろうし、嫌悪感を覚える人もいるし、こんな素晴らしい文化だって思う人と、両方いるんですけれども。そこには多かれ少なかれ、エキゾチシズムとかオリエンタリズムっていうのは、これはいや応なく入ってくるんです。それは一概にいけないことかっていうと、そうではなくて、日本が西洋を見る場合にも、フィルターはかかってるし、やはりフランス人はおしゃれだよねとか。

長池:そうですね。思っちゃいますね。

永山:同じものを着てても、洗練されてるよね。それから、アフリカ系の人はすごいリズム感いいよねとか、偏見とかも含めて持ってるわけですから、それを引き合いに批判したり、非難すべき問題ではないと思うんですけども。ただそこに偏見が入っちゃってて、これはこういうもんだろうみたいな思い込みとか、誤解とかがベースになってると、やはりお互いにつらいです。理解し合えないので。だから、ただすごいオリエンタリズムといっても、例えば向こうのオペラ『ミカド』とか、なかなか日本人だと抵抗あるんだけれども、素晴らしい芸術っていうのは、いくらもあります。それを一概に否定するのではなくて、これはフィクションとしてすごい面白いんだけど、現実はこうじゃないので誤解しないでねみたいなふうな対話をできれば、一番いいんじゃないかなっていう。

長池:本当に永山さんがおっしゃってるように、ローメーカーの法律作る人とか、取り締まる人たちが何も知らずにやっていて、Amazonのレビューを書く人も、こんな変態なものあるよねっていうようなことを書いているから。だからちゃんとやっぱり知ってもらいたいとか、教育が必要ということで、その人たちがその上で法整備とか、言論の自由とか話すっていうコンテクストで、重要な文献が英語になって、世界中で読まれるということは、本当に素晴らしいことだと思います。終わりのコメントみたいになっちゃったけど、すいません。なんかずれてきました。

大城:大丈夫です。それでは、前半として用意しました分を一通り、永山さんにお答えいただいたように思いますので、ここで休憩を取らせていただきたいと思います。前半は私が司会を務めましたが、後半は長池一美さんにお願いしています。そして後半は4時に始めさせていただきたいと思います。それではビデオをオフさせていただきます。永山さん、後半もよろしくお願いします。

 

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